グランパ プチ Facon(流儀)

いつまでも「タノシク、カワイク、役に立」てない、三世代同居中のグランパ悪戦苦闘の記録!!昭和時代の「田舎の雑貨屋」です(笑い)!

長編:時代小説 凌雲の志(細井平洲の青年時代) はじめに

アメリカ大統領ケネデイが尊敬した日本の江戸時代藩主、上杉鷹山の師匠として細井平洲のことを知り、興味を持った。


上杉鷹山の肖像画

上杉鷹山肖像画(江戸ガイドより)。細井平洲は、上杉鷹山の師匠として長く師弟の交わりを続けた」

 

現代風に言えば、江戸時代の「経営コンサルタント」として活躍。

その生い立ちの詳しい資料は少ないようだ。

それだけに自由に「創作」する余地があり、自分なりの平洲のイメージを元に、数少ない資料の間を「創作」してみた。

また、兄甚兵衛については、ほとんど資料が残されていないようだ。

兄甚兵衛についての内容は全編「創作」したもの。

ただ、グランパの勉強した範囲では「残されている資料」に基づくようにして、時代背景等は、出来る限り「事実」の裏付けを確認するように努めた。

以上、調査や勉強したことの「備忘録」を「長編小説」風にまとめてみた。

あくまでもグランパの「備忘録」なので小説としての「レベル」や「面白さ」は、無関係な代物と言いうことで(笑い)。

基本は、週1回程度の連載を考えていますので、興味の無い方は、飛ばしていただくようにお願いします。

 

とりあえず「序章」は、原稿用紙50枚程度で、掲載8回分くらいです。

内容に、エンタメ性はありません。

 

挿絵は、出来る限り、歴史考証及び時代考証に沿うように努力してみますが、所詮、素人のAI画像なので、いずれも史実に耐えられるものではありません。ご了承くださいませ。

もっとも描くのは、「短歌に画像」で賞をいただいたAdobe FireflyのAI画像ですが(笑い)。

挿絵を見ていただくだけでも、あらすじが分かるように、頑張ります。

なお文中の挿絵は、断りの無い限りAdobe FireflyのAI画像です。

blog.hatena.ne.jp

お付き合いのほどをよろしくお願いします。

 

 

従って、本作品はフイクションであり、実在の個人・団体等とは無関係であることをお断りいたします

 

 

 

 

 

 

「凌雲の志」   ~細井平洲の青年時代~

 

登場人物(序章分)

 

細井平洲 幼名、甚三郎

細井甚兵衛  甚三郎の兄 細井家を相続

父    甚十郎 正長 前当主 祖先は、徳川家康に仕え、姉川の合戦で功。五代前に平島(現在の東海市)で隠棲し農業。

母    寿々 近郷、加計村の酒造家の竹内氏の娘

義寛和尚 観音寺の住職 母の兄 甚三郎に儒教を教える

美代   兄甚兵衛の嫁 横須賀町方の鍛冶屋の娘

中西淡淵 名古屋の叢桂社を主宰 甚三郎の名古屋修行時代の恩師

 

主な参考文献(全章共通)

東海市史(通史編)

東海市史(資料編)

嚶鳴館遺草口訳(現代語訳)

嚶鳴館遺稿注釈初編(小野重伃)

細井平洲の生涯(浅井啓吉)

細井平洲 (附 中西淡淵)

童門冬二著作多数

朝日文左衛門と歩く名古屋のまち(大下武著)

からくり人形の宝庫(千田靖子)

古文書に見る江戸犯罪考((編・氏家幹人ほか)

図説 見取り図で読み解く江戸の風景

近世名古屋商人の研究(林薫一)

名古屋方言の研究(芥子川律治)

自分で考えて動けるようになるモンテッソーリの育て方(共著石田登喜恵)

長崎市観光案内(唐人屋敷の歴史)

長崎市観光案内(中島聖堂遺構)

長崎県の歴史散歩(長崎県高等学校教育研究会)

長崎聖堂の世界(熊本県立大学文学部平岡研究室)

長崎県の歴史(県史42)

復元!江戸時代の長崎(布袋厚)

 

ネット関係(参考多数)

雲の名前を覚えよう(村井昭夫)

たばこの歴史と文化(JT

農畜産業振興機構(近世砂糖を考える)

 

 

 

 

 

 

 

凌雲の志(あらすじ全体)

江戸時代中期、著名な儒学者、細井平洲(甚三郎)。平洲、青年期の時代小説。生誕地は、尾張国知多郡荒尾村平島(現在の愛知県東海市)。同地で幼少期を過ごす。

甚三郎は、儒学者として大成するために、最後の勉学の機会として、長崎への遊学を懇願した。幼少の時から優れていた甚三郎を兄甚兵衛も父母も誇りに思い、家の田畑を売ってまでも支援していた。過大な学資や災害などもあり家業の農家は傾いていた。 

許しを得た甚三郎は、長崎に渡り、日々勉学に明け暮れ、目標とした中国語も中国人と変わらないほどに上達し、儒学の勉学でも同士を得て、新たな研究視点を発見し、順風満帆の毎日だった。ある日、故郷の尾張国平島から、母危篤の文が届いた。自分を慈しみ、理解してくれていた母であった。何としても存命中に会いたいので、急遽帰路についた。

途中、甚三郎は、これまでの成長を夢に見て、思い出していた。幼年時代の母の思い出、寺子屋での義寛和尚の教え、一〇歳で名古屋で猶子に、一六歳で京都に遊学。しかし、そうした勉学にも関わらず自らの求める師に出会うことが出来ず、もっぱら独学だった。京都から帰郷し、名古屋で中西淡淵という儒学者の塾を知り、淡淵と対話して、求める師が今ここにいるとその場で入塾。一年も立たないうちに淡淵から、もう教えることはないので、儒学者として大成するつもりなら、中国語を学ぶように指導された。甚三郎は、最後の遊学として長崎に行き、中国人から直接中国語を学ぶことにした。

一方、兄甚兵衛は、家業を立て直すために、米以外の換金作物を探していた。そこへ代官の手代である嘉六が煙草葉作りを薦めてきた。煙草葉栽培の代官の許可と栽培指導や販売を行う商人の紹介を行うかわりに心付けを要求された。商人は信頼できる人物だったので、話に乗ることにした。代官の許可に時間がかかったが、嘉六が許可状を持ってきたので取りかかろうとした寸前に商人から、許可状が偽物だったと伝えられた。嘉六は、許可状を偽造して甚兵衛から心付けをだまし取っていた。嘉六は裁かれ死罪となった。甚兵衛は、台風に襲われ、流行風邪もあり、大きな被害を受けた。様々な辛苦に遭遇していた。

長崎から甚三郎が帰郷したとき、母はすでに他界。母の死や甚兵衛の辛苦を聞き、甚三郎は、心を痛め、旅の疲れなどから重い病気になった。一年余り寝込みやっと回復し、今後の人生を考えたときに、長崎まで遊学して研鑽した儒学の道しかなかった。そのためには、最大の人が住み、政治文化の中心である江戸に出たいと思った。自ら到達した民百姓の為の学思行相俟つという儒学哲学で在野の一儒学者として、天高く凌雲の志を持ち、同士とともに江戸に出て、儒学を教え広めることを自らの使命だと自覚した。

 

 

 

凌雲の志(あらすじ・序章)

甚三郎は、名古屋の遊学先・淡淵のところから、進路の相談で帰省中だった。兄甚兵衛に、義寛和尚の観音寺で、相談をすることにした。

家計のことが心配な甚三郎の心をみすかしたかのように、甚兵衛は、最後の遊学になるだろう長崎行を勧める。あとのことは算段があるから心配するなと諭す。

家に帰り家族の温かいもてなしを受けて甚三郎は長崎行の決意をいよいよ強くした。

だが、遠い地である長崎への旅は何大抵のことでは進まない。

甚三郎はある作戦を胸の内に秘め熱田の里に出かける。

 

 

凌雲の志(全体)   目 次

序章                                   

その一  順風満帆の長崎修行        

その二  甚兵衛の目論見            

その三  長崎の同士              

その四  母の慈愛               

その五  長益上人と義寛和尚 

その六  名古屋の猶子生活          

その七  京都遊学の顛末           

その八  生涯の師              

その九  甚兵衛の辛苦            

終章    

 

 

義寛和尚が住職を務め寺子屋も兼ねていた観音寺の境内から伊勢湾を望む。宮宿(熱田)から七里(約二十八キロ)離れた東海道五十三次の唯一の海路である桑名宿が見える。多くの船が宮宿、横須賀の港に出入りしている。遠くには、甲賀、伊賀の山々に夕日が沈もうとしている。

 

「江戸ガイド」より
 細井平洲

細井平洲

ほそいへいしゅう

出身
尾張国
生年月日
1728年8月3日
没年月日
1801年8月8日
年齢
満73歳没

江戸時代中期から後期の折衷学派の儒学者。名君として名高い米沢藩主・上杉鷹山(治憲)の師として知られる。本姓は紀氏、諱は徳民、一般に知られる平洲は号で、号はほかに如来山人、通称は甚三郎、字は世馨。尾張国知多郡平島村(現・愛知県東海市)の豪農の家に生まれ、幼い頃から学問に励み、名古屋の折衷学派の実学者・中西淡淵に師事した。長崎に遊学後、江戸で私塾「嚶鳴館(おうめいかん)」を開き身分を問わず学問を教えた。45歳の頃、まだ江戸にいた上杉鷹山の師となり、鷹山が米沢藩主に就任し藩政改革に着手すると平洲は鷹山に助言を与えたり、藩校「興譲館」の創設に尽力するなど(校名の命名者も平洲)活躍した。53歳の時には御三家の筆頭・尾張家に招かれ藩校「明倫堂」(現・愛知県立明和高校)の督学(学長)に就任した。農村をまわって庶民教育にも力を注いだ。著書に『嚶鳴館遺草』『詩経古伝』など。平洲の名言として、藩主就任前の鷹山に送った「勇なるかな勇なるかな勇にあらずしてなにをもって行なわんや」が有名。平洲の故郷である愛知県東海市では地元の偉人として今も深く敬愛されており、平洲の名を冠した学校や平洲記念館などがある。墓所上杉鷹山と同じ山形県米沢市にある松岬神社。

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「江戸ガイド」の肖像より、AI画像(AdobeFirefly)ソフトで、平洲の一八歳を再現したもの

 

 

凌雲の志(全体)  序章   に続く